現在は嘉数高台公園(かかずたかだいこうえん)として市民の憩いの場になっていますが、沖縄戦の中でもまれに見る激戦地だったそうです。
この場所で多くの尊い命が失われています。
【じゃらん】国内25,000軒の宿をネットで予約OK!2%ポイント還元!
嘉数の戦い

嘉数の戦いは1945年4月8日~24日まで16日間の激戦が繰り広げられた第2次世界大戦沖縄戦における戦いのひとつです。
日本軍が爆弾を背負って戦車に体当たりをして止めるなどの肉弾戦法で、米軍は多くの戦車を失いました。
戦闘は互角の状態が続いていました。
4月12日は特に激しく、日米双方が全力を尽くし互いに厳しい損失でした。
米軍は戦闘が進むと組織的な攻撃を強化し、4月24日には嘉数高台を完全に制圧します。
日米両軍の兵士に加え、戦闘に巻き込まれた嘉数区の約53%の住民が命を落としました。
現在は嘉数高台公園

現在は嘉数高台公園として整備され、市民の憩いの場です。
遊具や遊歩道が整備され、子ども達でにぎわっています。
また戦跡や慰霊碑、地球儀を模した展望台からは米軍普天間飛行場が見え、平和学習の場としても利用されています。
戦跡
嘉数高台公園には沖縄戦の戦跡が残されています。
弾痕の塀

弾痕の塀(だんこんのへい)は、近隣から移設されたものです。
展望台へ向かう階段の手前にあります。
沖縄戦以前の嘉数地区は住宅や田畑に囲まれたのどかな集落でした。
米軍上陸後に、日米両軍の激しい戦いの場となり住民や家なども大きな被害を受けました。
陣地壕
陣地壕(じんちごう)は、展望台へ向かう階段の途中の踊り場から左側約15mの場所にあります。
現在、壕入口はコンクリート製の柵でふさがれているため中には入れません。
内部は緩やかな下り坂となっているそうです。
トーチカ

トーチカとは敵の上陸を阻止するために旧日本軍が造ったコンクリート製の陣地です。
トーチカは階段を上った展望台前広場にあります。
コンクリートの厚さは約75cm、北向きに作られていて2つの銃眼(じゅうがん)。
爆撃が激しかったであろう弾痕が残り、鉄筋がむき出しになっている部分もあり、沖縄戦のすさまじさを物語る戦跡のひとつです。
慰霊碑

3つの慰霊碑があります。
嘉数の塔
1975年建立。
嘉数地区の住民695人が戦争に巻き込まれ、374人が死亡しました。
京都の塔
1964年建立。
嘉数高地で米軍と戦った日本軍の中には、多くの京都府出身の兵士がいました。
2,536人の冥福を祈っています。
青丘之塔
1975年建立。
青丘之塔(せいきゅうのとう)は沖縄戦で亡くなった韓民族出身者の慰霊碑です。
軍人・軍属386人が沖縄で亡くなったと記されています。

道路を車で走ってると「京都の塔→」っていう青看板があるけど、
沖縄で京都?って思ってたの
ここに来て納得した
展望台からの眺め

地球儀型の展望台に上ると、海や街並み、普天間飛行場が一望できます。
整然と並ぶオスプレイや飛行機を見ていると、沖縄の軍用地問題の根深さを感じずにはいられません。
米軍移設後の宜野湾市の未来等が描かれている看板もあり、早くこうなったら良いのになと思わずにはいられませんでした。
嘉数高台公園基本情報
住所 | 沖縄県宜野湾市嘉数1-6-15 |
駐車場利用時間 | 6:00~22:00 |
料金 | 無料 |
トイレ | 有 |
駐車場 | 無料駐車場有(20台) |
バリアフリー | 階段を上った展望台前広場に身障者用の駐車場有 |
公式サイト(宜野湾市観光振興協会) | https://ginowan.info/2023/05/26/kakazu-park/ |
嘉数高台公園へのアクセス
那覇空港から約13km(車で約30分)の宜野湾市に位置します。
【住所】〒901-2226 沖縄県宜野湾市嘉数1丁目5
【車】無料駐車場(20台)、展望台前広場に身障者用の駐車場有
【公共交通機関】①那覇空港からバスで約50分(系統番号25 広栄団地入口バス停下車徒歩約10分)
②ゆいレール(沖縄都市モノレール)古島駅下車→古島駅から徒歩1分の古島バス停でバスに乗り換えて約20分(系統番号21・88・90・98 広栄団地入口バス停下車徒歩約10分)

2025年は戦後80年
2025年は戦後80年となる節目の年です。
沖縄は日本で唯一、地上戦が行われました。
自分が今こうして平和に暮らしていられるありがたさや歴史的事実を知るために、2025年は沖縄の戦争遺跡を巡りたいと思います。
嘉数高台公園からは米軍の普天間飛行場が一望できます。
現時点でいつになるかは不明ですが、全面返還が約束されている数少ない軍用地です。
旅するように、暮らしたい。「MILESTO」